第5回「妙法の行進」報告

「妙法の行進」事務局 土屋信裕

カンボジアそしてインドにおける法華経流布のための「妙法の行進」は、第5回を以て無事円成することが出来ました。カンボジアのクメール語及びインドのヒンディー語に翻訳された本多日生師要約の「妙法蓮華経」総計2万冊は、常に現地仏教界の支援と協力を得て、延べ4000名を超える僧侶と共に、団扇太鼓を打って御題目を高らかに唱えた「妙法の行進」に併せ、広く仏教徒の手に配布することが出来ました。これも偏に(財)統一団を始めとして、皆様からの厚いご支援を頂けた成果であると感謝致しております。

前年度、法華経の聖地ラジギール(霊鷲山)及び仏教の聖地ブッダガヤでの「妙法の行進」を無事成功させた一行は、今年度は、いよいよ50年程前にアンベードカル博士によって仏教復興の地となったマハラシュートラ州ナグプールにおけるプログラムを盛大に執り行うことが出来ました。今回は僅かに日蓮宗及び顕本法華宗の僧俗総勢11名の法華経の行者でしたが、皆その志は高く強く、数十万人の大観衆の中に於いて堂々とその成果を発揮することが出来たと思います。

赤道下の都市ナグプールは、10月中旬を過ぎても最高気温が連日33度を超える日照の強い大地です。各地から集まった一団は、韓国の仁川空港に一旦集結し、そしてムンバイ経由で夜を徹して現地入りし、今回は余裕のないスケジュールの為に身体を十分に休める暇もなく「妙法の行進」は始まりました。初日は、ナグプール郊外の寺院を出発地点として、仏教改宗記念広場までの約20キロの行程を、大型トラックを舞台に改修した車両を先頭に現地僧侶・仏教徒と共に約5時間掛けて市中を行進します。花吹雪を以て歓迎される車上では、法鼓が打ち鳴らされ題目が但信高唱され、そして沿道の行く先々で法華経が人々に配布されていきます。顔は日に焼けて赤くなり喉は嗄れ、何時目的地に辿り着くのも判らない中、参加者の皆さんが時より笑顔も覗かせながら、最後まで気丈に頑張ってくれた姿がとても感動的でした。

夕刻に到着した仏教改宗広場は既に数万人の信徒で埋め尽くされていました。日が落ち、漸く昼間の喧噪から静寂を取り戻しつつある式典では、インド仏教界と日本側による読経とスピーチを終えた後、寿量品の自我偈が現地語によって大会場に朗読され、そして、「妙法の行進」に併せて作詞作曲された「今こそ目覚めよ」(涌出品)と「永遠の真実を奏でて」(寿量品)が、シンセサイザーの演奏と共に参加者全員によって合唱されました。インド独特の興奮の内に疲れを感じる暇もなく、長い初日を参加者全員が何とか無事に乗り越えることが出来ました。

さて、翌日も午前9時よりプログラムは開始されます。アンベードカル仏教改宗記念行事を終えた一行は車に分乗し、500人を超えるインド僧は数台の大型ダンプカーに乗り込んで、2日目の「妙法の行進」が実施される郊外のカムティーの町に向かいます。ここカムティーは、日蓮宗の篤信者小川女史の寄付で建設された大きな妙海山竜宮寺(ドラゴンパレス)がある場所です。立教開宗750年を契機として、日蓮聖人の御遺戒を果たすために始まった「妙法の行進」は、常に法華経に説かれた調和と統一の理念の基に実施されてきました。カンボジアでは、宗教省と調整して長年対立してきた仏教二派を融和協力して参加させ、そして前回のインド・ラジギールでは、インド仏教界の指導的立場にある佐々井秀麗師を説得して、関係の拗れている日本山妙法寺を会場として協力を頂くことも出来ました。またブッダガヤでも、ヒンズー教徒を含む大菩提寺委員会の協賛で「妙法の行進」は行われています。

そして、ここ仏教改宗の聖地ナグプールでも、「妙法の行進」を成功させるために調整しなければならない問題がありました。ドラゴンパレスを主管しているのは、佐々井師の篤信者で元政治家であり実業家でもあるスレーカー女史です。このスレーカー女史に先の小川女史を紹介したのも佐々井師ですが、寺号まで授けた佐々井師本人は日蓮宗による落慶法要にも呼ばれることなく、その後も日蓮宗からは敬遠されていました。そのため、これを不審に思ったナグプールの活動的な仏教徒と、妙海山竜宮寺の間に大きな亀裂が生じている事態が続いていたのです。この事態は、今後門下が法華経をインドの新仏教徒に弘める上で、大変な障害になる恐れがありました。それを、今回の「妙法の行進」を通して一挙に解決しようと試みて来たのです。

妙海山竜宮寺へと、佐々井師と数百人のインド僧が「妙法の行進」と共にやってくることを喜んだスレーカー女史は、百人程の少年少女によって結成された法鼓隊と信徒と共に、ドラゴンパレスに向けて行進する出発地で今か今かと待ち受けていました。門下の妙海山竜宮寺が、いよいよナグプールのインド仏教徒達にも認知される日です。そして、マイクを通す大きな唱題に合わせて法鼓は打ち鳴らされ、竜宮寺に到着するまでの約2時間、500人を超えるインド僧と共に徒歩による大行進がカムティーの町で始まりました。時より砂埃の舞う大通りには、歓迎の大きな門が所々に仕付けられ、沿道の人々の注目を集めながら法華経も配布されていきます。「妙法の行進」のために動員された多くの警官達も皆、法華経を手にして歩いています。そして、法華経が初めて奉納される日となった竜宮寺には、溢れんばかりの多くの仏教徒が待ち受け、此処においても双方の読経とスピーチ、そして現地語による自我偈の朗読、「今こそ目覚めよ」「永遠の真実を奏でて」が合唱されました。二日に渡るハードな「妙法の行進」のプログラムも、いよいよ終える時が来たと感じた参加者一行の顔にも、やっと満足感と安堵の表情が浮かび始めているのを感じました。

事務局で当初計画していた「妙法の行進」は、実はここまででした。ところが、さすがに予定通りには物事が働かないインドです。各地から集まったインドの僧侶達は本日解散するけれども、翌日はタイ国の仏教界から寄贈されていた仏像を、信徒が新たに建設した寺院に奉安して落慶法要を執り行うため、是非とも「妙法の行進」も参加して頂きたいとのことでした。法華経のために遙々インドに来たのですから、躊躇する理由は少しもありません。そこで、政治家等が集まる州政府開催の改宗記念式典には2名だけが参加することとし、他の参加者の皆さんには先にホテルに戻って休養を取り、そして鋭気を養って頂くようにしました。そして漸く私がホテルに戻って来ると(不謹慎にも駆けつけ二杯の冷たいビールを幻に見ながら)、既にレストランで食事を終えて待っていた参加者皆さんの様子が何やらニコニコと変です・・・何々? 「今日は、インドの禁酒DAYだって。」

さあ、気を取り直して最後の「妙法の行進」です。巨大なアンベードカルの霊廟から、団扇太鼓の唱題と共に運び出された仏像は、信徒達と一緒にトラックに乗せられて出発地点に向かいます。到着すると、そこはもう行進のためのお祭り騒ぎで、大勢の楽団が賑やかに音楽を奏で、インド風の煌びやかな装飾具を付けた数頭の馬までが準備万端です。ここからナグプール北部のラスクリバーグの新寺院まで約2時間、前後に仏像を乗せた2台のトラックを配置して、インドの仏教徒と共に、市街における「妙法の行進」が再び始まりました。車に取り付けた拡声器からも、大音量で御題目が四方に響き渡って行きます。そして最後に、信徒達が建立した新しい寺院に、新しい釈尊の仏像が御題目と共に奉安されるのです。「明日からは、毎朝お釈迦様にお会いに来られて下さいね」とのスピーチの後、落慶法要に集まった信徒達が皆共に団扇太鼓に合わせた手拍子で、御題目を唱和し続ける感動のフィナーレで幕を閉じることが出来ました。

ハードスケジュールを「最後は死ぬかと思った。」とケタケタと笑い飛ばしながら、大きな感動と満足を得て、そして参加者の皆さんが元気に日本に帰ることが出来たことは、事務局としてこの上の無い喜びです。「妙法の行進」一行がナグプールを離れた後にも、当日に配布仕切れなかった要約「妙法蓮華経」が、改めて妙海山竜宮寺を始め他所で信徒に手渡され、ナグプールのアンベードカル大学にも寄贈されたとのことです。その行事に参加された日本山妙法寺の御僧侶からも、後日感動と感謝の御礼を頂いております。5年間の「妙法の行進」を通して、遂に今回、私達が復興し続けるインドの新仏教徒に、この「妙法蓮華経」は釈尊の最高経典であると手渡す功徳を得られたことは、すべて釈尊の導きと日蓮聖人の信念のお陰であると思っております。しかしながら、法華経を配ってそれで終わりであるはずがありません。日蓮門下が共に手を携えて、そしてインドの仏教徒が正しく法華経を信念として受持して頂くための努力が、今ここに始まったばかりであると思うのです。

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