第4回「妙法の行進」霊鷲山・ブッダガヤ 報告


「妙法蓮華経」の広宣流布のため、アジア各仏教界の数百人の僧侶と共に唱題行脚を行ない、そして現地語に翻訳された法華経を施本する「妙法の行進」は、仏教と共に国の再興を目指すカンボジアにおいて、宗教省ならびに現地仏教界との協賛による三年に渡るプログラムを終え、いよいよ日蓮聖人の御遺戒を果たすべく、13世紀には仏教が壊滅され、今また仏教復興へと奮闘を始めている人々の待つインド天竺の地へと進むべく準備を進めて参りました。そして昨年11月、インドにおける初のプログラムである第4回「妙法の行進」も、インドの仏教復興に願いを託すインドの僧侶約400名を結集し、釈尊が法華経を説かれた霊鷲山を起点として王舎城(ラジギール)を巡り、そして釈尊の悟りの地として大菩提寺があり、世界遺産に登録されたブッダガヤにおいて成功裏に行うことが出来ました。今回のプログラムがカンボジア同様に、大々的にそして無事にその目的を成就することができましたのは、偏に多大な御支援を頂いております(財)統一団を始め日蓮聖人門下の多くの皆様の篤実な願いが、教主釈尊ならびに日蓮聖人の導きへと届き、諸天善神の御加護を頂けたことにあると感謝しております。

カンボジアにおけるプログラムも、成功に至るまでには解決しなければならない様々な難題がありましたが、政府機関である宗教省を主体に仏教徒として熱意を以て協力態勢を確実に進めていくならば、ある程度の成功の形を見通すことは可能でした。しかしながら、仏教復興の兆しがあると雖も、仏教徒数わずか1%と言われ、しかも仏教界を統率するような窓口となる機関もないインドにおいて、所謂仏跡巡礼とは異なるこのプログラムを同様に成功させるには全く異なる手法が必要であることは容易に判断できます。しかしながら、日蓮聖人の弟子として成すべき事が使命として与えられている以上、途方に暮れている猶予はありません。カンボジアにおける第3回の「妙法の行進」を終える前には、インドの社会情勢や仏教界の現状を少しでも多く学び、それらを検討した上で確実な協力態勢を築ける人物と出会い、その心を通じ合わせておかねばなりません。前途多難と思われましたが、意外にもキーパーソンとなる人物は、あたかも「妙法の行進」が来る時を待っていたかのようにインドに存在していることを知りました。それは、カースト制度に苦しむインドの下層の民を救わんと50年前にインドに仏教復興の風を吹き込んだ法務大臣アンベードカル博士の偉業を継承し、既に高齢でありながらも40年の間、民衆の仏教徒への改宗のために今尚奔走している佐々井秀嶺師でした。インドに帰化したその師が「妙法の行進」に相応しい人物であるかどうかを知るためには、インドの仏教復興において如何なる痕跡を残して来たのかを理解し、実際に交流のあった方々のところへ出向いて様々な情報を得ておく必要がありました。



人種や宗教のみならず、様々な階層の坩堝(るつぼ)であるインドは、けっして悪い意味ではなく現実問題として、日本の常識を持ち込んで通用するような国ではありません。そのインドという異国の地で、僧侶として尊敬を受けて活躍できる日本人ならば途方もない人物であることは想像に難くありません。それ故に、佐々井師の評価には賛否両論がありました。というよりも門下の間では、むしろ新仏教徒共々に佐々井師の活動と人物に対する否定的な風評が広がっていました。しかしながら、インドは僅か50年前に生まれたばかりの新仏教徒ばかりであり、これから仏教徒になる人々もまた、すべて新仏教徒と言えます。そして、釈尊をビシュヌ神の九番目の権化とするヒンズー教の国では、日本の寺院等が建立されても、あえて仏教に改宗する人々は皆無に等しいのがインドの現実なのです。したがって、新仏教徒の現状を云々と評価することよりも、宗門の海外進出を目的とすることよりも、まずは法華経がインド仏教の再興と共に弘まっていくように考え、これを支援することこそが、何よりも優先しなければならないことと考えられました。今はまだ混沌としたインドの仏教界ではあるものの、その新仏教徒自らの手によって法華経が弘められていくならば、法華経は隈無く仏教徒に弘まっていくのは間違い有りません。日本側では、このプログラムを推進するにあたって様々な問題に直面しつつありましたが、現地仏教界と対立することなく法華経への信仰を弘めていくためには、インドに生涯を捧げ、インドの民衆と共に歩む佐々井上人の協力が是非とも不可欠であると判断されたのです。

一方で、「妙法の行進」の堅固な志を感じ取った佐々井上人からは「すぐにでもインドへ来なさい」との連絡があり、都合二度の渡印を行なって、当に寝起きを共にしながら協議を重ねて来ました。政府機関であるカンボジア宗教省とは違って非常に状況が流動的で、組織的な支援が不透明な中、その後のインターネットによる通信は疎か、ファックスもまともに繋がらない状態での調整は困難極まりないものでしたが、「アンベードカル菩薩は、インドにおける上行菩薩の再誕であった。」と意識付け、如何なることがあっても「妙法の行進」をインドにおいても成功させるのだと、佐々井上人と法華経流布の意義を共有するに至ったことは、本プログラムを推進する上で大きな原動力となりました。しかしながら、佐々井上人が拠点とする新仏教徒の聖地ナグプールと、ラジギールならびにブッダガヤは遠く離れており、参加するインド僧の動員は期待できても、会場の設定および400名分の食事の手配などは、すべてこちら側で行なわなければなりません。「嗚呼、これがインドへの道。」と頭を抱えるような紆余曲折が待ち受けていましたが、最終的にはラジギールにおいては日本山妙法寺の小此木上人に、そしてブッダガヤにおいては大菩提寺管理委員会の皆様に多大な御支援を頂いて万事を得ることが出来ました



そして、この「妙法の行進」に欠かせない最も大事なものは、言うまでもなく現地のヒンディー語に翻訳される要約「妙法蓮華経」(本多日生師原著)でした。しかしながら、日本語を良く理解出来るのみならず、難しい経典の内容を正しく把握できる程の能力を有するインド人となると、翻訳者を探すこと事態が容易なことではありませんでした。方々に翻訳の適任者を探し求めて半年、そしてインドを活動の拠点とする中村行明師に出会うことを得て、ナレシ・マントリ博士を紹介して頂いてから、翻訳の完成までには更に約1年を要しました。すでに御高齢の博士は、ガンジー尊者の孫弟子で、インドより法華経を学ぶために来日され、そして立正大学で博士号を取得された方です。法華経をインドに回帰させる「妙法の行進」にとって、ナレシ博士の他に法華経翻訳の適任者はいないと言っても過言ではありません。お忙しい中、薄謝にも関わらず快くお引き受け下さった師には心から感謝しております。この翻訳をナレシ・マントリ博士が引き受けられたことも、すべて釈尊の導きの一環であったのでありましょう。

さて、為すべき準備をすべて終え、後は諸天善神の御加護に任せるばかりです。日蓮聖人は「よし、皆の者。それでは参るぞ」と私達に声を掛けられ、私達と共に行動されているかのようでした。心残りであったのは、第2回より続けて参加されている85歳になる広島の熱心な信徒であられる水野氏が、出発の5日前に膝の大怪我をされて入院されたため、御一緒出来なかったことです。水野氏は、「妙法の行進」を年に一度の大イベントとして、足腰を鍛えるために、つい先日まで団扇太鼓を持って行脚の練習に張り切られていたとのことでした。そのことを御家族から聞かされた時のこと思うと、今でも涙が出そうになります。「土屋上人。わしゃ、死ぬ前に霊鷲山に往くぞ」との水野氏の言葉は、このプログラム推進する上で、何度も私を勇気づけてくれました。水野氏のお声掛けで、女性を含む3名の新たな御参加も頂きました。ともあれ、12名の一行を乗せたエアーインドの航空機は成田を発ち、夜にはデリーに到着。翌日、国内線でパトナ空港へ、そして陸路バスでラジギールへと向かいます。途中連絡を取った携帯電話の向こうからは、日本山妙法寺の小此木上人から「400名近いインド僧が続々とラジギールのビルマ寺に集結している。」との、やや興奮した声が入ってきます。いよいよ、インドでの本番の日が近づいて来ました

翌日早朝、御来光に合わせて唱題行脚を以て霊鷲山に登ると、「車に乗れるだけ乗って駆けつけた。」と笑って答える佐々井上人を筆頭に、30名ほどが頂上で待ち受けていました。その後、竹林精舎の日本山妙法寺に溢れた400名近いインドの僧侶と共に「妙法の行進」は、題目を唱えた街宣車を先頭にして、かつては仏教都市として栄えた王舎城、今はインドで最も貧困地帯であるビハール州ラジギールの小さな町の中に入って行きます。狭い路地、スラムかと思うような情景が広がる中、「妙法の行進」は団扇太鼓に合わせて唱題も声高らかに、人々が何事かと見守る中、ぐんぐんと進んでいきます。そう此処は、今は殆ど仏教徒のいない地域であるのです。そして、その翌日には、釈尊が悟りを開かれた菩提樹の下に用意された会場にて、ブッダガヤ大菩提寺での式典が行なわれました。日印双方の読経とスピーチの後、自我偈を再編して作曲された「永遠の真実を奏でて」がシンセサイザーの伴奏と共に歌われ、その後日本寺を含む各国の寺院を巡りながら、聖地ブッダガヤの街頭を約400名の「妙法の行進」は勇壮に進んで行きます。そして、唱題行脚に合わせて配布される約2000冊の要約「妙法蓮華経」が、次々と人々に手渡されていきます。「今この三界は皆これ我が有なり。その中の衆生は悉くこれ吾が子なり。しかも今この処は諸の患難多し。唯我れ一人のみ教護をなす。」「毎に自ら是の念を作す。何を以てか衆生をして無上道に入り、速やかに仏身を成就することを得せしめんと。」との、教主釈尊の慈悲がインドの人々の心に響き渡っていくようにと。

カンボジアの首都プノンペン及びアンコールワットで3年間、そして今回からは遂にインド霊鷲山とブッダガヤで、法華経を流布する大行進が現地の仏教界と共に行なわれて来ました。これまで御参加して下さった僧侶や信徒の皆様には、釈尊ならびに日蓮聖人の御恩に報いる大変な功徳を積まれ、そして多くの感動を持ち帰って頂いたと自負しております。しかしながら、事務局の面々が東へ西へと奔走致しましても、このようなプログラムが広く門下に認知されるまでには至らず、また多くの参加者や賛助の確保が容易でないことは、私共の力不足とはいえ、当に法華経を弘める修行の困難さを物語っているのかも知れません。今年度の第5回「妙法の行進」は、アジャンター・エローラの仏跡視察も兼ねて、いよいよ数十万人の仏教徒が会場を埋め尽くして待つ、ナグプールの「仏教徒改宗記念祭」に併せて行なわる予定です。インドの仏教復興の聖地であるナグプールにて大いなる成果が得られますよう、より多くの日本の参加者が得られますように、何卒皆様の変わらぬ御支援を頂き度、宜しく御願い申し上げます。 南無妙法蓮華経

「妙法の行進」事務局


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